伊東氏家紋と歴史

---紋様と思想・由来---


           〔1〕家紋の二大系統

<形と意味>

意味
<その1>
木瓜の系統
公卿・朝臣であった藤原氏を表示

 「木瓜」紋もっこう(平安前期〜)
天皇・朝廷/藤原朝臣(南家)の表現(右大臣是公・大納言雄友・越前守弟河・陸奥守高扶・上総介清夏・讃岐守常陸介維幾、木工介為憲等・・・皇居武者所筆頭・左衛門尉工藤祐経等)


 「庵木瓜」いおりもっこう(平安中期〜)新作 
木工介の藤原氏・武家の藤原氏の統領、武将の祖・工藤為憲流を表現。官軍大将として藤原為憲は俵藤太、平貞盛と協力して「平将門の乱」を平定した。朝廷より恩賞として新姓「工藤姓」、官職神宮神社の「木工介」、家紋「庵木瓜」を受けたと言う。

      藤原為憲と家紋「庵木瓜」
<その2>
月星の系統

桓武天皇系の子孫である表示。


 「月星九曜」つきにほしくよう(鎌倉初期)新作
伊豆国・伊東元祖の祐隆(家継)の妻は源氏の源佐渡七郎重高の女(ムスメ)であったが、工藤・狩野家は源氏家臣として重く用いられ た。
一方、それ以前伊東先祖工藤為憲の母は桓武天皇後胤上総介高望王女。また祐経室(祐時母)も同子孫平姓千葉介常胤女であった。
 月星紋は思想的・紋様的に品格に優れた桓武天皇後胤平姓千葉氏の著明な家紋。伊東氏家紋「月星九曜」は、源家頼朝が祐経に授与した月星の新紋で、結果的に源平両家との深淵な縁戚関係を示すものとなった。月を描き易い円にした「丸に九曜」も見られ,大小の円が十個(十曜)で同じ意味を示す。(ただし、明かな九曜の円囲いは除く)


 「十曜」紋じゅうよう(豊臣時代〜) 新作
伊東祐兵が豊臣家臣となって九州征伐戦を案内し大軍功。秀吉によりお家再興を果たし飫肥藩成立。その飫肥藩・伊東氏の定紋。太閤秀吉認証。「月星九曜」紋と同義。十曜とは十星の意。




<家紋の由来と紋様の思想>

名称 家紋 家紋の由来 紋様の思想
木瓜紋  
木瓜     庵木瓜

「達磨軒記」に「祇園の天王の紋は木瓜なり」とあると言う。
神前・宮殿・の御簾等の額隠し、御所車の紋様などにあしらわれた帽額(もこう)の紋様。帽額(もこう)が転じて木瓜になったという。公卿・朝臣の藤原氏に由来。
木瓜紋は元来インドで釈迦の奉じたと言われる太陽神のシンボル。菊花紋・十字紋と同義とされ太陽光の輝きを意味する。
庵木瓜は庵が木工介木瓜が藤原氏を示し「宮殿建設職の藤原氏」を表現する。
月星紋  
 月星九曜   十曜  

月星紋は月と諸星の結合。
月に加えて星1個〜8個の諸星紋は桓武天皇曾孫平良文子孫が千葉に住して千葉氏を名乗り妙見信仰により専用した家紋。記録によると、頼朝は祐経の結婚(再婚)に併せて縁起の良い「月星九曜」の新紋を制定。
 月星紋の権利者の千葉常重から祐経に譲渡させ日向伊東祐時の幕紋(定紋)とした。

元来、「北斗七星」信仰は漢の時代の中国伝来の思想。
また、後年平安初期、最澄が比叡山に八部院を建立,「妙見菩薩像」を安置してから仏教の妙見菩薩信仰に転じて隆盛。月を含む太陽系、天体諸星に祈願する天体信仰思想。


           〔2〕家紋の歴史・時系列---「表紋(定紋)と裏紋(替紋)」

               定紋(表紋) ⇒ 朝廷・幕府との歴史的・政治的なつながり・系統等を示す公的な家紋。
                          当主紋(嫡家紋)

               替紋(裏紋) ⇒ 宗家・嫡家の替紋.。また分家・庶子等一族の内々のつながりを示す家紋。
                          表紋と共に変化

時代 姓名変化 表紋(定紋) 裏紋(替紋) 出典

平安時代前期
  (京都)
藤原氏     
不明<伊豆・葛見神社の伊東祐隆家の裏紋に九曜の事例>    
@昭文・家紋家系辞典
 (吉田大洋著)
A日本紋章学(沼田
 頼輔 著)
B家紋総合事典(丹羽
 基 ニ著)

平安時代中期
  (京都)
工藤氏 @上記木瓜に同じ
A南家・伊東氏大系図
 為憲の条
B曽我物語
C日向記
鎌倉時代初期
  (伊豆国)

<伊豆国>
工藤氏
狩野氏
伊東氏
@上記木瓜に同じ
A南家・伊東氏大系図
 祐経・祐時の条
B伊東一族(日本家系
 家紋研究所)
D寛政重修諸家譜
 家紋集(徳川幕府)
南北朝 ・室町時代
  (日向国)
日向国
伊東氏
@上記同じ

豊臣・徳川時代〜明治維新
薩摩藩
日向流
伊東氏
@上記A同じ
A鹿児島県姓氏家系
 辞典(角川書店)
B薩摩伊東氏墓地
飫肥藩
伊東氏
@藩史大事典
 (雄山閣)<飫肥藩>
A日向記
B飫肥藩藩主家墓地
C寛政重修諸家譜
  ・家紋



           〔3〕家紋二大系統の使用状況

徳川幕府編纂の寛政重修諸家譜を基にした「新訂 寛政重修諸家譜 家紋(編者:千鹿野茂)」(P.17 平成四年 2月発行)によると、藤原(工藤)為憲流伊東氏の家紋の使用状況は、掲載された伊東家19家の家紋数48についてみると次の通りほぼ同数であったという。
                  (1)庵木瓜紋・・・35.4%(17)
                  (2)月星紋・・・・・35.4%(17)



 飫肥城歴史資料館と伊東家の家紋(九州旅倶楽部)



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