伊東家四大家紋<時系列> |
木瓜 もっこう |
庵木瓜 いおりもっこう |
月星九曜 |
十曜 |
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平安時代前期 |
平安・鎌倉(935)~ |
室町(1190)~ | 豊臣時代(1587)~ |
祇園牛頭天王紋 |
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藤原氏 | 賜朱雀天皇 (摂関忠平) |
賜将軍源頼朝 |
始関白秀吉/飫肥藩 |
公卿・朝臣 |
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桓武天皇の子孫 (平氏良文流) |
<家紋の構造> 「達磨軒記」に「祇園の天王の紋は木瓜なり」とあると言う。 「神仏習合」の時代、素盞嗚尊(すさのおのみこと・須佐之男命)は牛頭天王(ごづてんのう)と称され京都東山に祀られ、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)・祇園社(ぎおんしゃ)・感神院(かんしんいん)とも呼ばれたという。 牛頭天王とはインドでは釈尊の祇園精舎での守護神であったとされるほか、神前・宮殿の御簾等の額隠し、御所車の紋様などにあしらわれた。菊花紋や十字紋と同源と言う。 |
<家紋の構造> 藤原氏の家紋「木瓜紋」に「庵紋」を被せた形。 庵は「木工介」を表し宮内省建築職の意味。藤原為憲が平将門を征伐し、乱を鎮定した功績により朝廷から「木工介」、「工藤姓」、家紋「庵木瓜」を授与される ------------- 工藤氏・伊東一族紋、 (平安~) 日向伊東家の裏紋 飫肥藩伊東家の裏紋 岡田藩伊東家の定紋 (徳川~) |
<家紋の構造> |
<家紋の構造> 由来は左記の「祐時紋」に同じ。祐時紋「月星九曜」の変形紋。中の大丸を月、周りを九曜とした組み合わせ。「満月に九曜」の呼称もある。 星十個であることから十曜と呼ぶ。 飫肥藩発足に当たり、何らかの理由で従来の日向伊東氏の 「月星九曜」紋が、そのまま使用できず新紋「十曜」を創作した可能性がある。 ------------- 飫肥藩伊東家の定紋 (豊臣~) |
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九曜(嫡家以外伊東族) |
勝つ(祐経使用・伊東族) |
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