女王卑弥呼の特使派遣
< 「魏志倭人伝」と伊東氏大系図 >



「伊東氏藤原姓大系図」中の卑弥呼の遣使

 (推定)
天児屋根命 西暦100年
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天押雲命 西暦100年
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天多称伎命 西暦120年
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宇佐津臣命 西暦150年
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大御気津臣命 西暦180年
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伊香津臣命 西暦200年
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伊世理彦命 梨津臣命 臣智人命 西暦245年
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神聞勝命

          <呼称・記載の変化>
 ①梨津臣命=梨迹臣命=難升米命 (なしとみ・なしょみ)
 ②伊世理彦命=伊聲耆命=伊聲耆命 (いせり))



     


「魏志倭人伝」の卑弥呼の遣使の記載概要

第一次遣使 景初二年六月(西暦238)、倭の女王、大夫「難升米」等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝獻せんことを求む。太守劉夏、使を遣わし、将って送りて京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑彌呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫「難升米」、次使「都市牛利」を送り、汝献ずる所の男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉り以て到る。汝がある所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢獻す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。
 今汝を以て親魏倭王と爲し金印紫綬を仮し、装封して帶方の太守に付し假授せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。
第二次遣使 その四年(西暦245)倭王、また使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口、倭錦、絳青ケン、緜衣、帛布、丹、木 、短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壹拜す。 その六年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して假授せしむ。
第三次遣使 その八年(西暦249)、太守王キ官に到る。倭の女王卑彌呼、狗奴國の男王卑彌弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書、黄幢をもたらし、難升米に拜假せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。



<海部氏・尾張氏系譜>

天忍人命 --天戸目命 --建斗米命 --建田背命 --建諸隅命 --玉彦命
| (由碁理) |
|   (都市牛利 天豊姫命
L宇那比姫命    (卑弥呼) (台与)     開花天皇妃



<魏志倭人伝に記録された倭国の「遣魏使」

第一次遣使 景初2年(238)  難升米(梨迹臣命)・③都市牛利(由碁理
第二次遣使 正始4年(245)  伊聲耆(梨迹臣命弟)・掖邪狗
第三次遣使 正始8年(249)  載斯・烏越




  <参考史料と概要>

系譜で読み解く日本古代史(桂川光和氏)
         http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/keizu/index.htm


倭国は景初二年(238年、景初三年ともされる)正始四年(243年)正始八年(247年)に魏に使いを送っている。

遣使となった人物は、倭国を代表して魏におもむいた人である。有力豪族系譜の中にその名前を探せる可能性がある。
その可能性の高い人物として、最初の使者、「難升米」(なしょみ)は中臣氏の祖先である「梨迹臣」(なしとみ)である。そして次使とされる「都市牛利」は海部氏の由碁理(ゆごり)であろう。
また正始四年の遣使の「伊聲耆」(いせり)は梨迹臣の弟である伊世理(いぜり)と考える。

難升米を梨迹臣、伊聲耆を伊世理とする理由の一つは、なんと言っても、灘升米と梨迹臣、伊聲耆と伊世理の漢字から推測される、音の類似である。
そして、この人物の年代は、私が卑弥呼とする宇那比姫の、一世代くらい後の世代である。

魏への遣使は卑弥呼の晩年である。したがって遠路、海を渡って遣使の役目を果たしたのは、卑弥呼の次の世代くらいの人物であろう。
私が卑弥呼とする宇那比姫は、神武世代から数えて四世代目である。この梨迹臣と伊世理は、神武時代の天種子から数えて五世代目である。卑弥呼の一世代後に相当する。世代的に、極めて妥当な推定である。

更なる理由は、この氏族が大和王権における歴代の重臣で、倭国を代表する遣使として、ふさわしいと考えるからである。

梨迹臣と伊世理の父親は、伊香津臣(いかつおみ)と呼ばれた人物である。伊香津臣を祭る神社が、滋賀県伊香郡木之本町にある。
伊香具神社(いかごじんじゃ)と呼ばれる式内社
で、その神社由緒に次のような事が記される。

 『當社の祭神は天児屋根命五世の孫伊香津臣命にして、創立は天武天皇白鳳十年以前なり。古傳に當社祭神始めてこの地に来たり給ふや、田園未だ開けず國郡と別れず因って子孫に告げて曰く、
 吾天児屋根命の命を傳へて皇孫に侍従久しく宝器を守る。尚この地に止まりて永く属類を守るべしと』

伊香津臣命は『吾天児屋根命の命を傳へて皇孫に侍従久しく宝器を守る』と言うように、大和王権に、代々仕える重臣であったことが察せられる。

伊香津臣命の子、梨迹臣と伊世理の兄弟は、卑弥呼の使いとして、魏に赴くにふさわしい人物である。




<参考史料>

「魏志倭人伝」原文(意訳)


 倭人は帶方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳を通ずる所三十國。
 郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、たちまち南したちまち東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。
 始めて一海を渡ること千余里、對馬國に至る。その大官を卑狗といい、副を卑奴母離という。居る所絶島にして、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多く、道路は禽鹿のこみちの如し。千余戸有り、良田無く、海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市糴す。
 又南に一海を渡ること千余里、名づけて瀚海という。一大國に至る。官をまた卑狗といい、副を卑奴母離という。方三百里ばかり。竹木叢林多く三千ばかりの家有り。やや田地有り、田を耕せどなお食足らず、また南北に市糴す。
 又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して、行くに前人を見ず。好んで魚鰒を捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没してこれを取る。
 東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る。官を爾支といい、副を泄謨觚・柄渠觚という。千余戸有り。世王有るも皆女王國に統属す。郡の使が往来し、常に駐る所なり。

東行して不彌國に至ること百里。官を多模といい、副を卑奴母離という。千余の家有り。 南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌といい、副を彌彌那利という。五萬余戸ばかり有り。
 
南、邪馬壹國に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。次を彌馬升といい、次を彌馬獲支といい、次を奴佳デという。七萬余戸ばかり有り。女王國より以北はその戸数、道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして詳らかにすべからず。
         
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                   省略
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景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝獻せんことを求む。太守劉夏、使を遣わし、将って送りて京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑彌呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米、次使都市牛利を送り、汝献ずる所の男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉り以て到る。汝がある所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢獻す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。今汝を以て親魏倭王と爲し、金印紫綬を仮し、装封して帶方の太守に付し假授せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。
 汝が來使難升米、牛利、遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将と爲し、牛利を率善校尉と爲し、銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。今、絳地交竜錦五匹(臣松之、地はと爲すべきであろう。漢の文帝は衣を着、これを戈といい、これなり。この字はのっとらず、魏朝の過失ではなく、伝写者の誤りなり)、絳地スウ粟ケイ十張、絳絳五十匹、紺青五十匹を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百牧、眞珠、鉛丹各五十斤を賜い、皆装封して難升米、牛利に付す。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と。正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、倭王に拜假し、ならびに詔を齎し、金帛、錦ケイ、刀、鏡、采物を賜う。倭王、使に因って上表し、詣恩を答謝す。

 
その四年、倭王、また使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口、倭錦、絳青ケン、緜衣、帛布、丹、木 、短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壹拜す。
 
その六年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して假授せしむ。
 その八年、太守王キ官に到る。
倭の女王卑彌呼、狗奴國の男王卑彌弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書、黄幢をもたらし、難升米に拜假せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。
 
卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。徑百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑彌呼の宗女壹與、年十三爲るを立てて王となし、國中遂に定まる。政等、檄を以て壹與を告喩す。
 
壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大勾珠二牧、異文雑錦二十匹を貢す。  (壹與=台与


<参考史料>
「魏志倭人伝」原文(意訳)
http://johokan.net/history/Rekishi/earlyjapan/Yamatai/gi-original.html