女王卑弥呼の特使派遣 < 「魏志倭人伝」と伊東氏大系図 > |
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<海部氏・尾張氏系譜> |
天忍人命 | --天戸目命 | --建斗米命 | --建田背命 | --建諸隅命 | --玉彦命 |
| | (由碁理) | | | |||
| | (都市牛利) | L 天豊姫命 | |||
L宇那比姫命 (卑弥呼) | (台与) 開花天皇妃 |
<魏志倭人伝に記録された倭国の「遣魏使」 |
第一次遣使 | 景初2年(238) | 難升米(梨迹臣命)・③都市牛利(由碁理) |
第二次遣使 | 正始4年(245) | 伊聲耆(梨迹臣命弟)・掖邪狗 |
第三次遣使 | 正始8年(249) | 載斯・烏越 |
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<参考史料>
倭人は帶方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳を通ずる所三十國。 郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、たちまち南したちまち東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。 始めて一海を渡ること千余里、對馬國に至る。その大官を卑狗といい、副を卑奴母離という。居る所絶島にして、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多く、道路は禽鹿のこみちの如し。千余戸有り、良田無く、海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市糴す。 又南に一海を渡ること千余里、名づけて瀚海という。一大國に至る。官をまた卑狗といい、副を卑奴母離という。方三百里ばかり。竹木叢林多く三千ばかりの家有り。やや田地有り、田を耕せどなお食足らず、また南北に市糴す。 又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して、行くに前人を見ず。好んで魚鰒を捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没してこれを取る。 東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る。官を爾支といい、副を泄謨觚・柄渠觚という。千余戸有り。世王有るも皆女王國に統属す。郡の使が往来し、常に駐る所なり。 東行して不彌國に至ること百里。官を多模といい、副を卑奴母離という。千余の家有り。 南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌といい、副を彌彌那利という。五萬余戸ばかり有り。 南、邪馬壹國に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。次を彌馬升といい、次を彌馬獲支といい、次を奴佳デという。七萬余戸ばかり有り。女王國より以北はその戸数、道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして詳らかにすべからず。 =============== 省略 =============== 景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝獻せんことを求む。太守劉夏、使を遣わし、将って送りて京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑彌呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米、次使都市牛利を送り、汝献ずる所の男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉り以て到る。汝がある所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢獻す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。今汝を以て親魏倭王と爲し、金印紫綬を仮し、装封して帶方の太守に付し假授せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。 汝が來使難升米、牛利、遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将と爲し、牛利を率善校尉と爲し、銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。今、絳地交竜錦五匹(臣松之、地はと爲すべきであろう。漢の文帝は衣を着、これを戈といい、これなり。この字はのっとらず、魏朝の過失ではなく、伝写者の誤りなり)、絳地スウ粟ケイ十張、絳絳五十匹、紺青五十匹を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百牧、眞珠、鉛丹各五十斤を賜い、皆装封して難升米、牛利に付す。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と。正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、倭王に拜假し、ならびに詔を齎し、金帛、錦ケイ、刀、鏡、采物を賜う。倭王、使に因って上表し、詣恩を答謝す。 その四年、倭王、また使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口、倭錦、絳青ケン、緜衣、帛布、丹、木 、短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壹拜す。 その六年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して假授せしむ。 その八年、太守王キ官に到る。倭の女王卑彌呼、狗奴國の男王卑彌弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書、黄幢をもたらし、難升米に拜假せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。 卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。徑百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑彌呼の宗女壹與、年十三爲るを立てて王となし、國中遂に定まる。政等、檄を以て壹與を告喩す。 壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大勾珠二牧、異文雑錦二十匹を貢す。 (壹與=台与) <参考史料> 「魏志倭人伝」原文(意訳) http://johokan.net/history/Rekishi/earlyjapan/Yamatai/gi-original.html |